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要は普通の恋愛というのは、形としては、性行為にSMがない、というだけの違いで、日常から常に服従しろとか、そーいうことは無いわけですが、でも、SMという行為が入ってくることで、その日常の関係自体が、違ってくるわけです。
これまでSMと言ってきましたけど、これから述べることは、SM限定ということではなく、スカトロ癖でもなんでもいいのですが、とにかく性的な暗好というのが、お互いに隠し立てがない、開放できている関係なら、そうだと思います。いわば『性的な部分が開放された関係』全般に言える話だろうと思います。ま、ちょっと分析は、あとにおきまして、私は女性ではないので女性の感覚は言えませんが、まず私の個人的な具体例をいくつか挙げてみます。カワイイもんはしよ~がないこれは個人的なひとつの例としてあげますので、一般論ではありませんが、SMが介在すると、単純に相手のことがかわいくなるというのがあります。このかわいいというのは、いわば年下の女の子という感じ、もっと言うと、ペットの小動物、みたいな感じです。実際の相手の年齢は関係ないんですよ。あくまでも感覚的なものの話ですから。これはいい女とも言えます。
よく『他人から見たらどうでも、俺にとっては世界一いい女なんだよ』みたいな言い回しがありますね。こういうのと同じです。ま、世界一はクサすぎて言い過ぎかもしれませんが、相手が、自分にとっていい女になるわけです。カワイイっていうのと、いい女っていうのは、ちょっと一般的には相反するイメージのように思えるかもしれませんが、私にとっては両方同時に込みというか、『どこかカワイイ部分があって』こそ、いい女だと思うので、ある意味では同義語と言ってもいいと思います。
一般論としてもいい女ってのは、やっぱり
たとえば、つきあっているとき、日常で、相手の些細なことが気になる。相手もこっちに対して、些細な日常のことでも報告したくなってくれる。そういう状態が嬉しいと、こっちもアプローチを取りたくなります。結果として、毎日メールしてたりという形になったりしますし、思春期の恋愛ってそんな感じですよね。こういうの、いわゆるラブラブってことなのかもしれませんし、普通に普通のセックスをしているおつきあいをしていても、そうなる人たちもいるのは分かってますが、私の場合は、SMがうなりやすくなる、ということです。私だけではなく、一般論としても、普通の恋愛でもそうはなり得るけれど、SMが介在すると、『なりやすさが、より高くなる』ということだと思います。その理由は、紳があるからなんですけど、分析はあとに回します。介在することで、そとにかく、これ、やっぱりペット感覚なんだと思いますよ。
なまじSMが女性をペット的な扱いをすることもあるだけに、のペットではありません。いつもペットに例えるのはちょっと引っかかりがあるんですが、この場合は純粋に『感覚』の部分が非常に似てる、ということで、SM的な意味で例えば、すごい動物好きな女の人だと、ペットを溺愛してる感覚が分かると思います。『も~、ペットのハムスターがかわいくてたまらん』みたいな部分、頭をナデナデしてやりたくなるとか、ぎゅーっと抱っこしてやりたくなる、というのがあるわけです。んでもって、カワイイから、ちょっといじわるしてみたくなる、というのも当然あるんですが、この感覚は男性固有のもののようです。

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プレイで相手の心動物のかわいがり方を見ると、男性と女性という生物的な性質の違いが見えます。女性は、ストレートに可愛がることが多いのですが、男性は、ちょっといじわるしてみたりするんですよ。最近は、草食系というか、男性ホルモンが薄いような男性が多いので、そういうタイプは、割と女性的なかわいがり方をするかもしれませんが。小学校などで、たが、オス固有の性質のようです。く、生まれ持った性質で男の子が好きな女の子にいじわるする、という性質が1のということだけでは?
す。
カワイイといじめたくなる、というのは、あるのも、純に照人前もべまし話がズレましたが、ペットっていうたとえは、ただカワイイ、ってところが似てるだけじゃなくて、例えばペットを置いて外出したら、別に何もないって理屈では分かっていても、気になるじゃないですか。ペットが元々ひ弱だったり、病気なら尚更心配だし、気にかかるでしょう。なぜ、あえてペットに例えるかっていうと、まあ、ペットじゃなくて赤ん坊と言ってもいいんですが、感覚が似てるからです。どこが人間と違うのかっていうと、ペットを人に預けてペットが家にいなかったら、家族が旅行で家に居ないときよりも、寂しい感じしませんか?
こういう部分の感覚、気持ちの度合いですね、その度合いっていうのは、相手が人間よりもペットの場合の方が大きくて、少し種類が異なる。これ、なぜかっていうと、別にペットを人間より上に見てるからじゃなくて、人間は自分で色々と行動できる、自分でなんとかできるけど、ペットはできない、世話してやらなきゃならないからです。もちろん、M女性は現実的には自分のことは自分で出来るわけですが、感覚としてはこの『ペットに対する感覚』に非常に近いものなんですよね。
要するに、相手との関係が『濃い』『深い』とでもいうか、頭の中を相手が占める割合が高くなる、とでも表現すればいいんでしょうか。そうなっているから、相手のことが気に掛かる、その気に掛かり方の感覚が『ペットが気に掛かる』ときと、よく似ている、ということです。
この感覚というか状態、っていうのは、私の場合は普通の恋愛では決してなりません。媒介として、SMがある場合にのみ、そういう風になります。繰り返しますが、これはあくまで、私の個人的な例をあげているだけで、みんながそうなる、と言っているわけではありませんからね、そこのところ、誤解のないようにしてください。深い関係?もうひとつ挙げると、SMが前提としてある場合、話しやすい、というのがあります。よく言う、何でも話せる関係というヤツですね。
言い換えると『なんでもさらけ出せる』ということです。話しだけではなく、後述しますが、たとえば普通は恥ずかしいような姿だとか、そういうものも含めた、広い意味でのさらけ出せるです。世の中、他人の話を聞くと、普通の十年ぐらい連れ添ってる夫婦でさえ、『ええっ?、そんなことがダンナに言えないの?』って驚くほど、ごく当たり前のことが言えなかったりしてるような話を、よく聞きます。
けれど、この当たり前のことってのは、SM込みのなんでも言える世界から見るから当たり前のことであって、世間の夫婦に往々にしてそういうことがあるってことは、世間の夫婦では、それは『意外と当たり前のことではない』とも言えるわけです。
そういう風な、普通だったら言えないことでも、言えるようになります。要するにそのような話をしてもオッケーである関係が得られる、『さらけ出せる関係が得られる』ということです。この人になら何でも話せるこの人になら何でも見せられるこの人になら何でも出せるといった精神的な部分が、無意識に構築されるのです。まあ、言うなれば普通より深い関係と表現できるでしょう。これは、とても楽なことです。誰しも、恋人、夫婦、親子であってさえ、相手に見せられない、言えないことってものはありますが、それを見せない、言えないっていうのは、しんどいことです。
そのしんどさの度合いは、物事によって色々でしょうが、とにかく、しんどいことには違いありません。でも、さらけ出せるほど、そのしんどさは感じないで済むわけで、非常に楽です。

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まあ、中には、絶対服従型のM女性は『言ったらご主人様に嫌われるかもしれない』って何も言えない人もいるでしょうが、それは、ちょっと筋が違うんじゃないかな~、と思います。難しいですが、そのような考えは『独裁』に基づくものです。『支配』という単語が適切かどうかは分かりませんが、主従関係のきついSMカップルは、Sが『支配』していると表現しますので、ここでは支配という単語を使いますが、支配と独裁は違うと思います。たとえるなら、民衆のことを考える良い王様がいて、民衆が喜んで従うようなのが『支配』です。それに対して、ヒットラーのようなのが『独裁』ですね。その違いは、端的に言えば、聞く耳を持っているかどうか、です。
良い王様は、民衆の声に耳を傾けますが、独裁者は、声を聞かず、頭から抑えつけます。完全支配型であっても、度量のあるちゃんとしたSってのは、聞く耳は持ってると思います。相手に『このS様には何も言えない』と思わせたら、私はそれは正しいSではなくS失格、なんちゃってSだと思います。あれこれさらけ出す逆に言うと、通常、平気で、色々なものをさらけ出している相手、というのは、親しい相手です。たとえば、これは『家族』を考えてみればすぐ分かると思うのですが、通常、人前ではバンツー丁で歩き回らないし、丁は男性限定でしょうが。
少なくとも、外では見せられないだらしない姿を見せても平気ですよね。その理由は、家族は特別親しいからです。SM関係で、なんでもさらけ出せる、というのは、つまるところ、これと同じ感覚です。
おならをしたりしませんが、家族の前では、平気でできたりする人は多いですよねまあパンツー個人的な話をしますが、私は、かなり特殊です。どう特殊かというと、たとえば、何十年も連れ添った夫婦ならともかくですが、普通、まだつきあいの浅い女性が、くさいおならをしたり、目の前で脇毛を剃ってたり、むだ毛処理を平然としていたら、男性というのは多少なりとも幻滅するものです。幻滅というか、女と見なしにくくなる、もっとはっきり言えば『そういう相手にはちん●んが起ちにくくなる』ということです。私の場合は、むしろ、そういう姿を見せてくれることは、歓迎ですし、推奨しています。これは別に、私が妙なフェチだからとかいうわけではありません。
この件に関しては、『第二章3さらけ出しちゃっていいんですよ』で書いているので、詳しい理由はここでは述べませんが、普通、そういう行為というのは、どうしたって一人のときにはしているわけだし、その姿を隠し続ける、というのは、ある種しんどいことです。それをさらけ出しても構わないのは楽ということですから、良いことですよね?SM関係においては、そういう『良さ』が、得られやすい、ということです。まあ、今まで話してきたいくつかの例は、あくまで私個人の場合で、どうなるには個人差があるでしょうから一概には言えません。
ここで言いたかったのはどうなるこうなるというようなことじゃなくて、
早い話が『SMだと普通の恋愛ではならないような状態になることがある』、要するに特殊なことがあるということです。もっと正確に表現すれば、『SMでしか得られないものが確かに存在する』ということです。もちろん、こういうのは、絶対に『SMでしか得られない』とは言えません。中には、普通のセックスしかしてない、普通のカップルでも当然あり得るでしょうが、ある程度、極端なものというのは、なかなか、普通のカップルでは、いくら仲良くてイチャイチャしていても、得られにくいと思います。というより、SMだと、より得られやすいものだと思います。

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逆説的言うと、普通のカップルでもそこまでのものが得られているなら、日常の関係でも、それなりに深い物事があるんでしょうが、それだけではなく、セックスにしても、必然的に相当に濃いものをしている、と思ったほうがいいんじゃないでしょうか。つまり性的なニュアンスとしては限りなくSM関係に近い濃さということです。どうしてそうなるのかさて、SMという行為を媒介したときになりうる状態を、半分私の個人的な経験でお話ししました。では、なぜそのような状態になるのでしょう。なぜ、SMがあるときだけ、そのようなことになり、普通の恋愛ではならないのでしょう?
前述のように、普通の恋愛では絶対にならないとは言えませんが、なりにくいというか、SMというか、性的なものが開放されているほうが、よりなりやすい、というのは確かです。理由はどうあれ、いいじゃないの、幸せならば、と言ってしまえばミを入れてフタをする、じゃなくてミモフタもないのですが、やっぱり、『なんでこーなるの?』と気になるじゃないですか。
特に、SM経験のない女性は『よくSMの紳とかなんとか言うけど、そんなものホントにあるの?』と一抹の疑問を感じるに違いありません。感じませんか?、感じてくださいよ、感じないと話が先に進みませんから、ほら、感じてきたでしょ?ね、寝不足でボケてますから、勘弁してください。え~、さて、本筋に話をグイッと戻しますが、これはおそらく、SMという行為が通常のセックスよりも『濃い』ものであることに起因しているのではないか、と愚考する次第でございます。
性行為、というのは、基本的に恥ずかしい行為ですね。世の中には、見ず知らずの相手とセックスして平然としていられる人もいますが、通常、人間というのは性行為を行った相手には、何も関係ない相手よりに対するよりは、多少なりとも、特別な感情を抱くものです。恥ずかしい行為をした相手ですから、当然です。逆に親近感がなければ恥ずかしい行為はできない、ということもありますが、それだって、行為の前と後では、親近感が違うはずです。
では、その行為が恥ずかしければ恥ずかしいほど、親近感の度合いは高くなる、比例すると考えられますね?SMというのは、通常の性行為よりも逢かに色々なことをするわけですから、当然、それだけ、親密度が上がりやすい、と考えられます。どこが感じるの?分かるように言ってごらん……って、何言ってんですか言ってごらん?ほら、ここ?私は女ではないので、女性心理は分からないのですが、例えば、ロコツですが、洗腸は分かりやすい例だと思います。排池行為、というのは、おそらく人として最も恥心ずかしい部分です。その行為を見られてしまう、というのは、猛烈に恥ずかしいことです。SM行為の中で、一番恥ずかしいのは、たぶん、これではないでしょうか?

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そのような恥ずかしい姿を見せてしまった相手に、人が、照れながらも強い親近感をもつ、という心理は容易に想像できます。身動きできず、あられもなく感じる姿を延々と見られ、恥ずかしい言葉を口にし、イキまくる姿を晒した相手に、通常以上の親近感、強い愛情を持っても何の不思議もありません。それは単に性的な欲望を晒した、というよりも、ストッパーが外され、自分の奥底に隠された、普通だったら絶対に他人に見せない自分自身を晒す、潜在的に存在する被虐心といったものが引き出され、満たされることで晒してしまう、ということだと思います。
そして、そのような状態を何度も重ねると、おそらく男性に対する依存度のようなものが高くなると思われます。男性の側から言っても、同様に欲望を晒し、征服欲や保護欲、支配欲を晒しているわけですから、通常以上の親近感を抱いても、これまた不思議ではありません。お互いに、そこには他人には見せられない自分をさらけ出した同士土の、紳が生まれます。これには、特殊な秘密を共有するもの同士の連帯感、というものもあると思います。特殊とは、日常とは違う、ということです。例えば、セックスも恥ずかしい行為ですが、長くつきあってるカップルなら『あいつらはセックスしてるだろう』と普通は周囲の人間は思ってます。ですが、そう思われるのは別に『普通』なので、仮に公言しても特別恥ずかしいとか異常だとかいうことはありません。

けれど、前にも言いましたが、長くつきあってるカップルを見ても『あいつらはSMしてるだろう』とはあんまり思いません、普通の人は。ここで言う『日常』とは、『世間で一般的に認知されているもの』であって、そのカップルは毎日SMしていて二人にとってはSMは日常でも、普通は公にできないものなので、『日常』ではなく『特殊』です。特殊なもの、特殊な性癖を、二人だけの間で共有する関係になるわけです。二人の間だけにひっそりと共有される秘密、二人だけの楽しいシークレットです。『あいつは実はM女なんだぜ~』とかバラされたら困るわけで、これは、ある意味、いわゆる共犯と同じで、お互いに相手の弱みを握り合っているとも言えるわけです。このような関係は、での友愛を指しますが、ここで言うのは、特殊な場、非日常を共有した相手、ということです。たとえば、長時間、立てこもりなどで、犯罪者と人質が一緒にいた場合、両者の間に一種の仲間意識、親近感、連帯感のようなものが生まれることはよく知られています。
犯罪者から人質への親近感だけではなく、被害者であるはずの人質から犯罪者への親近感すら生まれることが確認されており、このような心理は、精神医学で『ストックホルム症候群』と呼ばれます。個人的には、SM関係における心理学の問題は、それだけで一冊の本にしてみたいと思うほどなのですが、本書はそういう本を目指しているわけではありませんので、これ以上、突っ込んだ分析は避けます。それは別の機会に譲って、いずれ、機会があれば書きたいと思います。
とにかく、共有するものが、世間一般の基準で言って、で恥ずかしければ恥ずかしいほど、変態であればあるほど、特殊であればあるほど、つまりは非日常度合いが高いほど、連帯感のようなものは、生まれやすくなっていくと思われます。そう考えると、特殊な性癖を公にしている人も希にいますが、そういう人は、独特の共有の連帯感は持ちにくいと考えられます。また、人間というのは、簡単に場の雰囲気だとか『環境』に左右される生き物です。一種の非日常です。『日常』なんだけど非日常なんだと。特殊な状況におかれた戦友同士には、特別な連帯がというのも近いかもしれません。

ホテヘルはホテルヘルスの略称でこち

デリヘル店の多く

戦友というのは普通は極限状態生まれる、に、現在、その気になるものですから、-と結婚していまてなるべく、最初はそういう『場』を活用したり、雰囲気ことをするのはもっぱら家、ということになりますが、そういりもSMルームなんてのがあるホテルに行くほうが、り、人間はパートナエッチ作りに気を遣った方が、関係を高めるには良いと思います。
結果そのような行為を経ていくと、通常は、欲求の表面化が次第に可能になっていきます。例えば、潜在的に『ホントは私、恋人とはすっごく普段からイチャイチャしたいのよね』という欲求があっても、普段はそれを表面に出すのははばかられている、というケース。あるいは、自分でもまだその欲求を意識していない、無意識下にあるという場合、SM行為によって、それが顕在化してくることで『イチャイチャすること』が可能になるわけです。今まで、SMを例にとってきましたが、前述のように、これは『SMだと、よりなりやすい』ということで、普通の性的関係でも、なることはあります。言い方を変えると、前述のように『すごく濃い性的関係』を持っていれば、そうなりやすいということだと思います。
街を歩いていると、かなり歳のいったご夫婦が、非常に仲よさそうに手を繋いで歩いている光景などに出くわすことがありますよね?どうも、年寄りなのに、ラブラブ光線が出まくっているというか、イチャイチャとしか形容ができないような雰囲気を醸し出している人たちです。私は、ああいう年寄りを見ると、『いいなぁ、私も歳を取ったら、あんな風になりたいなぁ』と思うのですが、ああいう風になるご夫婦というのは、絶対に、若い頃は、濃い性的な関係を持っていた人たちだと思うんです。
そうであればこそ、ああいう風にラブラブな感じになるのだと思います。歳をとったときに、話がズレましたが、ま、イチャイチャする、というのは一例です。この欲求、とは、何も性的にああしたいこうしたい、という性的な欲求のことだけではありません。日常的な、言いたい、したい、見たい、聞きたい、知りたいあらゆる何々したいという欲求です。『SM関係になると、何でも言えるようになる』『さらけ出せるようになる』というのは、つまりこういうことなんですが、ここでは、その問題点を考えてみます。さらけ出せる、というのは、言い換えると、『わがままになっている』とも言えます。ここが、大きな問題なのです。要するに、両者が同じ感覚で合致をみているならば、何も問題はないのです。
一般的に、Mは受
動的で、Sが能動的、つまりは、MがSに依存しているという形に見えますが、実際には、その行為というのは、両者の反応があってはじめて成り立つものです。Sの行為は、Mの反応があって、はじめて成り立つので、Sは、やはりMに依存しているのです。これは、一種の相互依存です。相互依存だから、依存が一方だけだと非常に問題だっていうことです。私が常にSMは恋愛の延長上だ、それが最も適切なSM関係の形である、と信じている大きな理由のひとつは、この部分にあります。なぜでしょう?
例えば、男が、女性から『だっこして欲しい、ナデナデして欲しい』という欲求を突きつけられたときに、『まったくもう、XXXあなたの名前を入れてくださいはしょーがね~な~と言いつつニヤついてる、甘えんぼなんだから(喜んでる)』とか受けられれば良いです。